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2004.05.23

古屋和雄アナウンサー

久しぶりに、古屋アナの声を聞いた。

買い物途中のカーラジオ。12時からのニュースだ。
いつものアナは何となく間延びしたアナウンスで好きでなかったのだが、「あれ?いつもとちがう、うまいなぁ」と思いながら聞いていた。
とくにカッコ内の読み方、普段「いかにもカッコですよ」という読み方にウンザリしているので「よく解る読み方だなぁ、報道の鑑だ」と思いながら聞いていたのだが、最後に名乗られてちょっとショックだった。何故なら、何年も聞いていなかったとはいえ、お声を忘れていたとは……

「おはようジャーナル」を担当していらっしゃった頃は、よく見ていた。今より少しはゆとりがあったのだろう。
当時、番組を取材して知り合った方達のことを書かれた「妻たちの定年宣言」を買っている。
今取り出して見てみると、89年当時の写真は 若いなぁ。

偶然 昨日 神戸の方と古屋さんの話をしていた。「あの震災の報道で泣いた方」をいう覚え方をしている人が多いようだ。

現在は、「ラジオ深夜便」のアンカーマンの一人だとか。聞いてみたい番組になった。

古屋和雄「妻たちの定年宣言」
【おわりに】に、こう書いてある。
***
今から22年前、田舎から上京してきた貧乏学生の私は、早稲田の古本屋街でよく立ち読みをしました。
(中略)
学生時代の私が不幸だったわけではありません。昭和四十五年当時、私の友人たちの多くは、それまでの社会の価値観に抵抗し、新しい何かを夢見て暮らしていました。田舎育ちの私には方言もありましたし、東京育ちのクラスメイトたちが熱っぽく議論する輪の中には入れませんでしたが、誰もが自分の手で何かを作り出そうとして連帯し、訣別し、挫折していきました。
***
丁度、学生紛争華やかなりし頃か。
古屋さんよりは少し?上の世代である自分の学生時代も貧乏だった。だが、それぞれが生きる目的を見いだすべく努力していた。

しかし そのこととは別に、ここにははっきりと「田舎育ちの私には方言もありましたし」と書かれている。
上記神戸の方との話の中で、「何故みんな、アクセント一つをとっても なかなかうまくならないのだろう」という話をしていたのだが、ここでこういう形で 言葉のことを目にしようとは奇遇だ。

東京にあるNHKの寮に(研修で)泊まった時、会えないかなぁと思ったということは、蛇足か!

かもがわ出版「余った人生なんてない】を、注文する。

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