新聞マンガの敬語
朝日新聞土曜日の朝刊[be]
その中の一つに「サザエさんをさがして」という連載記事がある。今日のテーマは「敬語:社会の民主化を映す」だった。
「『サザエさん』は良かった」
読者の方からそんなお便りをよくいただく。ありがたいと思いつつ戸惑うのは、かなりの確率で、現在の本紙朝刊連載「ののちゃん」へのこんな感想が書き添えられていることだ。
「言葉遣いになじめない」
60歳以上の女性に目立つ。山田家では、おばあさんとお母さんが関西弁で話す。お父さんはべらんめえ調だ。
福岡出身の磯野家では、しかし九州弁ではなく丁寧な共通語だ。
一方の「ののちゃん」での山田家の言葉遣いだが、自分が関西人の故か言葉に違和感はない。勿論磯野家の言葉遣いに違和感を持ったこともないのだが、今日指摘されて初めてその違いに気がついたような次第だ。
言葉遣いのことでいえば、同じ朝日の夕刊「地球防衛隊の人々」の夫婦間の会話の方が気になる。友達言葉なのだ。対等な物言いを批判するつもりはない。我が家でもそれは同じだ。しかし言葉そのものに多少の違和感を覚えるのは何故だろう?
余談だが、長男が「あいつ(徹也のこと)、いつの間にか『にいちゃん』と言わんようになった」とこぼしていたことがあった。そうそう、一度陰でだが徹也が兄のことを「○○(長男の名前)が……」という言い方をしたことがあったっけ。
自分の妹は、今でも自分を「ねえちゃん」と呼ぶ。これは我々の世代までは当たり前だったような気がするが、兄弟の場合はそうでもないかもしれない。
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