高校野球:松本稔選手
高校野球も明日は早や決勝戦。オリンピックの陰に隠れているが、連日熱戦が繰り広げられた。とはいっても、まったく見ていない。
中学から高校時代、高校野球が好きだった。夏休みはほぼ全日程母の故郷で過ごしていたので、叔父が聞くラジオで自然に好きになったのだ。応援していたのは、岐阜商業高校と 当然近畿勢。
少し年上の清沢さんのことを書いたが、もう一人忘れられない選手がいる。
群馬前橋高校の松本稔投手だ。昭和53年春、なんと完全試合を成し遂げたのだ。この春は仕事の上で一つの区切りがあり、割合のんびりテレビ観戦などもしていた。相手は地元の比叡山高校、京都から離れて(以前は京滋としての代表だったので滅多に出られなかった)1勝もしていないとはいえ、完全試合を許してしまったのだ。
今日書きたいのは、その松本さんが監督となって甲子園へ来られた時のこと。昭和62年だったか?PL学園との対戦だった。おそらくPLとしては与し安しと見たのだろう。少し気を抜いてような試合ぶりで、もしかしたらと思わせる試合展開となった。松本監督もそう思われたのではという表情だった。しかしさすがPLは強く、敗退した。試合後の挨拶時、監督の目が潤んでいたような気がする。
この年、PL学園は片岡・立浪などを擁して優勝している。
トラックバック先
へいぽーさんのブログ「高校野球!松本投手の場合」
現在も、引き続き前橋高校で監督を務めておられると教えて頂きました。転勤は無かったようだ。
また、ほぼ日刊イトイ新聞の糸井氏も、前橋高校の出身らしい。
asahi.com「前橋・松本稔監督【井上明の現代高校野球考】 」
記事を書いた井上明氏は、松山商のエースとして69年の51回全国選手権決勝で三沢・太田幸司投手と延長18回を投げ合った選手だという。
実は、この試合を見に行っているのだ。
追記
8月23日:Hamaさんの「甲子園、優勝旗は津軽海峡を越えるか」に、トラックバック
9月1日:関連記事「松本稔氏台湾へ」(2004.08.28)
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コメント
涼さん、こんばんわ。
トラックバックありがとうございました。
asahiのコラムも読んでみましたが、人間的に凄い人みたいですね。ちょっと会ってみたいなーと思っています。
松本さんて多分、まだ、お若いですよね。40代半ばでしょうか。ますます、これからのご活躍を願いたいと思います。
投稿: へいぽー | 2004.08.21 23:12
こんばんは、
昭和35年生まれで、44歳になられたばかりですね。
∥ちょっと会ってみたいなーと思っています。
いいなぁ、チャンスがあって……
投稿: 涼 | 2004.08.22 00:57
コメント有難うございました。
my blog list、blog peopleに
追加登録して帰りますネ。
では。
投稿: Hama | 2004.08.23 18:50
Hamaさん、コメントとトラックバックをありがとうございました。こちらからも、トラックバックをつけさせて頂きました。
MyblogListとMyblogPeopleにも、登録させて頂きました。
投稿: 涼 | 2004.08.23 19:42