祥月命日:慟哭
「オタクの息子さんが、川で流されました。捜索中ですが、日没のため一旦打ち切ります。引き続き捜索してほしい場合は、警察と消防に依頼して下さい。」
あの日は丁度主人も長男もいた。階段を上がったところが長男の部屋で、急ぎ現地へ行って貰うべくこのことを告げた。着替えをする長男は震え続けていた。
主人に「○○(長男)に運転させてはダメだ」と伝え、二人を送り出した。現地へ着いたのは夜中だったらしい。
明くる朝 引き続き捜索が続けられ、午前8時半過ぎ「ダメだった」という主人からの電話が入った。
事故死であるため検死があり、帰途 主人は搬送車に同乗する。
たった一人戻ってきた長男は、長途何を思って車を運転していたのか。その間、自分は一人帰ってくる徹也の褥を用意していた。
年子ではあっても、幼い頃からいつも一緒で、双子かと思われていた。仲の良い兄弟だった。徹也の穏やかな性格に拠るところ大だったと思う。
思いは溢れ、書き記したいことは山とある。もう少し落ち着いて、詳しく書ける時が来るだろうか?
ああしかし、呼んでも帰らぬ彼方の何と遠いことか!
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コメント
涼さん
昨日は脳天気なコメントをしてしまって申し訳ありません。
今日が徹也さんの命日だったのですね…。
わたしなどに言える言葉は何も見つかりませんが、
ただただ、ご冥福をお祈り申し上げます。
涼さんの溢れる思い、いつか言葉にできる日が来ることを
蔭ながらお祈りしております。
投稿: ぽち | 2004.08.27 12:55
お察し申し上げます。
と同時に、ご冥福をお祈り致します。
合掌。
簡単ですが…。
投稿: face | 2004.08.27 13:00
涼さん、ごめんなさい。
コバに一番近いこの場所でメール送らせて
コバへ
あの時・・・あの時・・・していれば
もうすこし早く
もう少し流れが弱く
逆にもう少し流れがはやかったら
今でも「たら、れば・・・」そんなことばかり浮かんでくる
一言、たった一言
もう遅いよな
ごめん。コバ
仕事中もあんまり怒らへんかった。
夢の中でいいから怒ってくれよ。
いつも笑ってるやん
夢の中でもいつも笑ってるやん
俺はがんばってコバに認めてもらうようにがんばる
安心してみといてや!!
投稿: 陽一 | 2004.08.27 23:07
そうだったのですか…。
考えてもいなかった一報が入ってから、
悲しいご対面をされるまでどんなお気持ちで
いらっしゃったのでしょう…。言葉がみつかりません。
私が高3の時、かなり昔のことですが、兄が
友人を車で送り届けた帰りに事故に遭って、意識不明
という連絡が救急隊から入り、身も心も凍りついて
震えが止まりませんでした。その後、幸い回復しましたが、
そのショックから、父は私が自動車免許を取得することを
認めてくれませんでした。父は他界しましたが、私は未だに
無免許です。たぶん一生このままだと思います。
涼さんのサイトは徹也さんが一番の愛読者だと思います。
涼さんをいつも見守ってくれていると思います。
投稿: kuro-mama | 2004.08.28 21:38
はじめまして。
水上勉さんから辿って、こちらに伺いました。
徹也さんの記事、拝見を致しました。
なんとも言葉がありません。
私は、徹也さんは存じませんでしたが、
精一杯に生きていらした、その足跡を辿る事は出来ます。
これからも、いろんな思い出の数々、教えてください。
拝見に伺います。
末筆ながら、ご冥福をお祈りしています。
では、
ご家族の皆さんもお元気で、、、
失礼いたします。
せとともこ
投稿: せとともこ | 2004.09.15 10:28
お越し頂き、有り難うございます。
肝心の水上さんの本については、再読しようとしているところです。こちらからも、トラックバックをつけさせて頂きます。
投稿: 涼 | 2004.09.15 17:20