開かれた学校は、もう無理なのか?
夢を見た。
何故か、チビさん達と学校の校庭にいる。そこは、下の子が来年入る予定の(即ち姉が通っている)学校のようでもあるし、子供達が通った学校のようでもある。また、自分の母校だと思っている節もある。
この春入学する子が校庭に入って、保育園や幼稚園のより大きな鉄棒にぶら下がりながら、サッカーに興じるお兄ちゃん達の姿を眺める。
あるいは、受験勉強に疲れた学生が夕方散歩に来たついでに立ち寄って、ブランコに揺られてみる。
そういうことは、出来なくなるのだろうか。校門で警備員に誰何され、目的を言わねば校内へ入れないようになったら、何気なく訪れることは難しくなるかもしれない。
知った先生が転勤されてしまっていても、母校は母校だ。
上記の夢は、善福寺手帳の母校を訪ねるときはから影響を受けたような気がします。
トラバさせて頂きます。
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コメント
TBありがとうございます。こちらのブログのシステムの都合か、画面にはまだ反映されてませんが確かに届いていますので、まもなく反映されるものと思います。
学校は思い出の醸造装置。安全はもちろん絶対ですが、あまり敷居が高くなって欲しくないですね。
投稿: yoshi | 2005.02.19 18:54
yoshiさん こんばんは、
∥学校は思い出の醸造装置
そうなのです。そしてまた、地域の交流の場でもあってほしいのです。
投稿: 涼 | 2005.02.20 18:50
ずいぶん前にコメントをいただいた者です。こちらでは初めまして。
記事にとても共感したので、トラックバックさせていただきました。
幼少時に近所の学校の校庭でさんざん遊んだ記憶があります。
その時代と今を比べてみると、イヤな意味で制限の多い社会になっているなあと思います。
我が家の息子が通う学校では、たとえPTA役員であっても学校へ行く度に受付の名簿に名前と時間を記入し、校内にいるときは「保護者」もしくは「来校者」の名札をつける決まりになっているというのが現状です。
投稿: ダイヤグラム | 2005.02.21 08:28
ダイヤグラムさん、トラックバックを有り難うございました。
同じように感じた方がいらっしゃるのだなと思いました。こちらからもトラバさせて頂きました。
投稿: 涼 | 2005.02.21 09:33
大変な世の中になってしまったのですね。
私が子供の頃は、学校の校庭は放課後の遊び場
でしたし、少なくとも、学校内に不審者が入り
込んで事件を起こすようなことなど考えたことは
ありませんでした。学校の正門はいつも開いてい
ましたし、学校を卒業しても、職員室にお世話に
なった先生にアポなしで自由に会いに行ったりして
いました。
日本もいつかアメリカのように、学校に警察官を
常駐させるような事態になってしまうのでしょうか。
投稿: kuro-mama | 2005.02.23 20:06
ちょっと縁があって、廃校になる直前の学校を訪れたことがあります。3階からは淀の流れと向こうの方に名神高速が望まれ、新幹線の走るのも見えるという場所でした。
廃校になって母校が亡くなるというのも淋しいものでしょうね。
投稿: 涼 | 2005.02.24 23:09