沢木耕太郎【杯(カップ)】
杯(カップ)緑の海へ | |
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沢木耕太郎〔著〕 出版 新潮社(新潮文庫) 発売日 2006.5 定価 \620 (本体 : \590) ISBN 4-10-123516-3 bk1で詳しく見る |
日韓共同開催となったサッカーのワールドカップ。その全期間、日本と韓国のあいだを激しく移動しながら、著者が求めた「二つのもの」とは何だったのか? 『アエラ』連載の「コリア・ジャパン漂流記」をもとに単行本化。(親本の紹介文より)
祭りが終わった今、何故ワールドカップなのか。しかも4年前の。
連日繰り広げられた、かしましいとも言える報道。余り関心がなかったのだが、ふとこの本が目に留まった。すぐれたライターが書くワールドカップとはどういうものか。
本書で著者が明らかになさっているが、著者の世代は子どもの頃にサッカーに余り馴染んでいない。自分でするスポーツも、テレビ観戦するスポーツも、もっぱら野球の世代だ。
その著者なら、のめり込みすぎずに客観的なルポルタージュに仕上がっているのではないだろうか。
本書は2002年、4年前に日韓共同で開催されたワールドカップを丹念に追っている。その合間に、過去のW杯のことにも触れられていて、門外漢にも実に判りやすい。
本書をW杯後に読んだために目についた、一人の名前があった。ブラジル・トルコ戦に言及したところだ。
主審は韓国人だった。本来、韓国の審判のレベルはワールドカップの本戦をさばく域まで達していないが、日本から上川徹が出ることになり、それでは釣り合いが取れないと、韓国からも急遽出すことになったのだという。当人も本心ではやりたくなかったが、流れに押されて引き受けざるを得なかったのだともいう。トルコは、その審判のミスジャッジで敗れた。それも運と捉えて、ブラジルにはツキがあったと、著者はこの項を締めくくっている。
試合の場面は、単に読み流しただけでよく理解できたとは言えない。サッカーに関しては、このレベルなのである。
ベッカム様がどうの、ジダンがどうしたと言ったことも、結局時の話題としては目の前を通過したとしても、それで終わりである。
先日も書いたように、上川審判の有終の美といったニュースには反応しても、日本選手については殆ど知識がない。中田が引退した。単純に惜しいという気持ちと、それも人生だという感想しかない。
反則を誘うような、接触プレー。頭突きは確かによくないが、心ない言葉は許されるのか。
いわゆるフリーガンと呼ばれる人たちの行動も理解しにくい。
国威をかけたような応援も馴染めない。
全編を通して面白かったのが、著者が韓国での拠点として借りていたアパートでの自炊だ。豪快な男の料理を披露して頂けた。
杯(カップ)
平成18年5月1日発行
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