ああ夏休み
学校の夏休みも、早や2週間ほど過ぎた。
去年までは、まだよかった。チビさんたちは、留守家庭児童会と保育所でお世話になっていたからだ。
しかし、留守家庭児童会は当市では4年生までなのだ。従って、5年生の子は家で一人で過ごすことになる。それはかわいそうなので、こちらへ来ているように言う羽目になる。
自宅では昼ご飯の支度も自分でしなければならないため、チビさんは喜んでやって来る。午前中はゴソゴソと宿題らしきものをやり、昼ご飯を食べ午後は刺繍などしてあとはボケッと過ごしている。
刺繍というのは、チビさんが退屈ではと、少し教えることにしたもの。
時々下のチビさんも一緒に来る。
この子は絵を描くのが好きなので、絵日記が苦痛ではないらしい。うらやましいことだ。
夕方にはママもやって来て、夕食を食べて帰ることもある。
従って、仕事は捗らぬ。先日などはつれあいと二人がかりで一日棒に振った。
自分にとって夏休みは、嬉しい半面絵日記があった頃は苦痛だった。それに「夏のとも」なるものも、早めに済ませた覚えがない。
何であんな宿題があったのだろう?
二学期になってあれを全部見る先生たちも大変だろうに。
小学生時代は、夏休みに入ると同時に母の里へ行っていた。祖父母と叔父夫婦。それに幼い従妹弟がいた。
近くに一つ上の子が二人いたから、その子たちとも遊んだが、よく祖父母について山へも行った。祖父母は、田んぼに入れる草を刈るのだ。
その間別に退屈もせず、近くの小川で遊んだりしていた。宿題はろくすっぽ、しなかった。
休みの終わり近くなって暑い京都へ戻るのがいやだった。それは同時に、まだ終わっていない宿題のことを思い出させるのだった。
今でも、夏休みと聞くと嬉しい半面、宿題という言葉で嫌な気分まで思い出してしまう。
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