心の過去帳
ぞふぃさんの心の過去帳というタイトルを、そのまま頂いている。
過去帳というのは、書く方が辛い思いをする。勿論書かれる側はそれをすることが出来ないわけだが。
本来の過去帳は40年前に誕生した我が家にも存在する。
ヘッセの「春の嵐」は高校時代に読んでいるはずだが、まるで覚えていない。
今年になって、まさに「心の過去帳」に一人の名前を書き込んだ。書く方が辛いというのはまさしくこの場合もそうであったが、いっそ書くことで訣別の思いに踏ん切りをつけることが出来るだろう。
この本のように、再会を喜ぶことが出来るのか?
ぞふぃさんの記事に、トラックバックさせていただきました。
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コメント
拙記事へのTBとコメントありがとうございました。
こちらを拝読してハッとさせられたのは、
>過去帳というのは、書く方が辛い思いをする
という言葉にです。
そういう意味では「載せるには戸惑いのある存在」だからこそ「訣別の思いに踏ん切りをつける」ために心の過去帳に名前を書き込むのかもしれません(なんだかとっても逆説的ですが・・・―苦笑)。
「載せるに戸惑いの無い存在」なら、多分記名せずとも自動的に印字されてしまうのでしょうね・・・
深いお話をありがとうございました。
投稿: ぞふぃ | 2007.01.12 12:54
ぞふぃさん、コメントをありがとうございます。
実は自動的に記載している人が多いかも知れません(苦笑)
ただ年賀状に関しては、こちらは寒中見舞いでお返ししているので、向こうから頂けたかどうかはなかなか判断の基準になりにくいのですね。
こちらからは賀状を差し上げていないのに、毎年頂けることに本当に感謝しています。
投稿: 涼 | 2007.01.12 15:30