書くということ
その一
レビューを書く際に便利に使っていたBK1の画像が使えなくなった。
一旦保存してアップするのは「めんどくせえなぁ」。それにソースがやたら多くなるのもうっとうしい。
何か簡単な画像アップ方法はないだろうか?
その二
連絡用のブログを開設している。
作業の進行状況や訪問報告などをコメントしてもらって、それを記事に反映するという形をとっている。
試行錯誤だったものも、ある程度パターン化されてくる。コメントを書く方も、慣れてきてそのままコピペですむようになってくる。
中に、どうしても自分流を貫く人がいる。別にポリシーがあるようでもなく、多分学習するのが「めんどくさい」のかなと思う。
いちいち注意を喚起するのも「めんどくせぇ」ので、ひっそりと修正している。
周りは気づいていることだろう。
その三
二のつづき。
同じ目的の違うブログの話。
時折、見当違いのところにコメントしてくる人がいる。
最近では、削除対象のところへ付けてきた。
「コメントは該当箇所へ」とそれとなく書いても気づいていない。だが、周りは判っている。
説明、コメントをしようかと思ったが、「めんどくせぇ」のでスルーしている。多分書いても理解しないだろう。
しかし、御両人ともどこかほほえましい。あまりきちんとなると、却って良さが失われるかもしれない。
そうしたことも受け入れての、お付き合いなのだろう。
書くのは、嫌いではない。それが証拠に、くだくだと3年あまりも毎日ブログを更新している。
だが、確信をついてしかも相手を傷つけないように配慮しつつ、判ってもらうのは、難しい。
派生
ニフのフォーラム健在なりし頃、コメントでの反論は即反応するなと教えられた。
特に反論は熱くなることなく、冷静に対処せよということだった。
これはコメントに限らず、メールや実生活でも当てはまるだろう。
(メールで)他愛ないことを何でも書ける人がいた。完全な過去形ではないのだが、双方忙しくなり、最近は気楽に応酬することがかなわなくなってきた。
だが、こういう人の存在は大きい。
BK1の画像が使えなくなったことを憂いていたことからの派生多数(苦笑)。
しかも、よろしくない方の「めんどくせぇなぁ」が、出ている (^_^;)
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