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ぞふぃさんの同名のタイトルをそのままに、同じように感じたものとして。
他人事だと認識している限り、その人に「なにか大切なものが欠けている」のだとは、思わないのです。
他人の「悲劇」に際して
7月1日追記
他人の「悲劇」に際して涙した人が、そのすぐあとで知人たちと笑いさざめいている。といった光景は、よく目にします。 欺瞞とは言いませんが、若干矛盾を感じることはあります。 でも、それも事実であり、受け入れるべきことではないでしょうか。
2008.06.27 15:30 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク Tweet
ぞふぃです、ご無沙汰しております。 拙記事へのリンクありがとうございました。
実はこの記事を書くにあたり、涼さんがこれをご覧になったとしたらなんと思われるだろうか、と少し不安に思っておりました。
不快感を与えなかった(?)ことに少しほっとしております。
ありがとうございました。
投稿: ぞふぃ | 2008.06.30 17:54
ぞふぃさん、お早うございます。
所詮は他人事(ひとごと)である、これは間違いないことです。 大事なのは、それを認識していることではないでしょうか。
少し追記しました。
投稿: 涼 | 2008.07.01 08:56
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ぞふぃです、ご無沙汰しております。
拙記事へのリンクありがとうございました。
実はこの記事を書くにあたり、涼さんがこれをご覧になったとしたらなんと思われるだろうか、と少し不安に思っておりました。
不快感を与えなかった(?)ことに少しほっとしております。
ありがとうございました。
投稿: ぞふぃ | 2008.06.30 17:54
ぞふぃさん、お早うございます。
所詮は他人事(ひとごと)である、これは間違いないことです。
大事なのは、それを認識していることではないでしょうか。
少し追記しました。
投稿: 涼 | 2008.07.01 08:56