「砂の器」と「氷の華」
昨日の氷の華で、何だかモヤモヤとしている旨、書いた。
以下、ネタバレあり。
本の中でも和歌子と隆之の「道行き」で、「砂の器」になぞらえて証拠の紙を細かくちぎって車外(註)に撒く場面がある。
(註)列車と車からという時代の違いがうかがえる
また、ラストシーンで「砂の器」を連想するという文にも出会った。
しかし、なにか納得できない。
そう、「砂の器」の場合、主人公に肩入れできるのに、「氷の華」の場合はそれがないことだろうか。
恭子は「何処までも凜として」とあるが、先の二人も含めた自分勝手な三人に、同情の余地がないと思うのだ。
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