新幹線と 子どもたち
あれは、 2000年の6月のことだったか。
当時秋葉原にあった、交通博物館 へ連れて行っていただいたことがある。
その中に、ジオラマがあって、時間を決めて次々と列車を動かしてくれる。
そのうち新幹線が動き出した時、子どもたちの間から「ワァー」という歓声が上がったのだ。
東京近辺の子どもたちが多かっただろうから、これは意外だった。
99年には、ほぼ月に一度上京していた。
新幹線に乗るというのは、何となく後ろめたいものがあったのも事実だ。騒音公害のことが頭にあったのやもしれぬ。
その後ろめたさは、また新幹線の新しい車輌ができて行くにつれ、違ったものにもなっていく。
「こだま」として働いている「0系」に対するものが。
少々感傷的になっている。
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コメント
こんばんわ。
今日は大変お世話になりありがとうございました。
教えていただいた「徹也」でよせていただいたら……。
こんなに悲しいブログだったとは。
子どもを亡くす親の気持ち、夢子にも……。
みんな顔にはださず、心の中に悲しみを秘めているものなのですね。忙しく溌剌としていらっしゃるので(息子の名前なのと仰ったので……もしや……と)そんなハズはないとドキドキしながらブログに辿り着いたら……でした。
夢子自身、悲しみは、時間・時の流れしか癒してくれるものはないと思っています。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: 夢見る夢子ちゃん | 2008.12.02 20:50
夢見る夢子ちゃん、コメントをありがとうございます。
今日は、長時間お疲れさまでした。
一つ前の「落葉」は、館の前の歩道です。
また、1週間前には「今年も」で書いています。
さて、環境に恵まれていらっしゃるので、あとは「習うより慣れろ」です。
経験についてウソをついては、いけませんね(笑)
彼の先輩については、↓でメッセージを発しています。
http://naym1.cocolog-nifty.com/tetsuya/2006/02/post_ce83.html
あ、夢子ちゃんのリンク先は変更しておきました。
そのままにしておいた方がよかったと思いますが……
この次の日のエントリーは、私たちにも多少関わりがあって自分でも好きなんですけどね。
http://naym1.cocolog-nifty.com/tetsuya/2006/02/post_30a7.html
投稿: 涼 | 2008.12.02 23:08
おはようございます。
はい、環境にはお陰様でめぐまれておりますので……、頑張って慣れるよう努力致します。笑
涼さまが夢子のブログを読んでくださって、「そのままでもよい」と判断してくださったら……リンク先を戻してください。
コメントも是非入れてください。待っていますので……。
勝手なお願いですが、よろしくお願いします。
投稿: 夢見る夢子ちゃん | 2008.12.03 10:53