努力の結果?
ご存じの方は「ははーん」と思われる、ある対談集をパラパラと読んでいる。
方や、「努力して幸せをつかもう」という論者。
方や、「努力しない生き方もある」と説く論者。
(かなりはしょっているんで、正確な言い方ではない。敢えて書名を挙げないのも、その故。)
恐らく本書内でも触れられているのだろうが、
「努力しても成果が見られないとき」は、どうすればいいのだろう。
【撤退する】ことを選ぶのも、一つの方法ではあるまいか。
これは、『しあわせ』というキーワードとは、一旦切り離している。
学生の受験とも、まったく関係ない。
その、大勢に影響のない、自分の暮らしにもさほど影響力のないところでの無駄な努力は、いつまでも続けなくていいのではと言いたいのだ。
何もその分野から全面的に引くのではなくても、自分を活かせる場所があるのではないか?
背伸びをして無理な(無駄な?)努力をいつまでも続けるのではなく、自分の出来ることを活かせるのは、とてもステキなことに思えるのだが。
全国区だけが、舞台ではない。
すぐそばに、求められていることがある(可能性が高い)のに、「もったいない」とは思いませんか? 関係者すべてにとって。
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コメント
「成果がみられないのは努力が足りないからです!」と、カの人は言うのだと思います(^^;
投稿: ムムリク | 2010.01.19 16:28
ムムリクさん (^_^)
∥「成果がみられないのは努力が足りないからです!」と、カの人は言うのだと思います(^^;
思わず笑っちゃいましたが……
たしかに、死ぬほど努力したかというと、そうでもない。
それやったら、適当なところで妥協?(折り合い)をつけた方が周りのためにもいいよと言いたいのです。
投稿: 涼 | 2010.01.19 17:15
最初からあきらめて何の努力をしないのはよくないけれど、
努力しても得られないものがあることを受け入れることも大切ですよね。
そもそも「死ぬほど努力できる」のは一つの才能ではないかと思います。
それを万人に求めても無理ではないかしら?
投稿: Tompei | 2010.01.19 20:46
Tompeiさん
∥努力しても得られないものがあることを受け入れることも大切ですよね。
本当にそうだと思います。でないと、周囲に迷惑をかけ続けることになりますから。
辛くても、自分の限界を認めることって、大切ではないでしょうか。
投稿: 涼 | 2010.01.19 21:43