疎外感
小学校へあがった息子がアレルギーのため給食を食べることが出来ず、弁当を持参させているという母親の投稿記事があった。
一人だけ別のことをしていることへの心配だったが、当の本人はお弁当を楽しんでいて安心したという内容だった。
だが、途中で少し引っかかったことがある。
それは、『クラスの皆が一緒に給食当番をするのに、息子だけがしていないから疎外感を抱いていないか』という個所である。
給食を食べないからといって、何故当番は外れているのか?クラスが一緒にすることならば、当番をするのは別にかまわないのではないか。
「君は食べないのだから、当番をしなくていい」ということなのか、逆に当番をさせると昨今のことだから食べないのに当番をさせるのかということにもなりかねないのか(この投稿者のことではない)?
ま、それはそれとして。
「疎外感」というのは、まわりが生むものではなくて、あくまでもそう感じる当人の問題である。
ここに、一人他と違った力を持っている人がいるとする。他の人が現在の急務でしていることを自分がしないからといって、疎外感を持つらしいのだ。
まわりからすれば「何とも贅沢な悩みよ」となるのだが、ご当人にとってはかなり深刻な問題かもしれない。
いやはや、人間関係というのは難しいものである。
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