「在りし日の姿を惜しむ」って?
昨日、ネットのニュースで
さようなら、おたかさん 故土井氏のお別れ会に村山氏らというのを読んだ。
この中に、
社民党関係者や国会議員、友人ら470人が集まり、在りし日の姿を惜しんだ。という一節があった。
「在りし日の姿」なら、「偲ぶ」のではないのか?
でも、朝日の記事だし、記者の原稿はデスクがキチンとチェックするだろうから、こういう言い方もありなのだろうか?非常に違和感を憶えるのだが。
内館牧子の【カネを積まれても使いたくない日本語】という本を読んでいる。
色々面白い例が出てきて興味深い。しかし、この「カネを積まれても」という言葉を使いたくないなぁと思ったのだった。
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