生と死と
先週の今日(4日水曜日)、従妹から手紙が来た。
関西に家を作っていたので、そのことかなと思って開封した。
しかし、思いもかけず、そこには叔父の死について書かれていた。
亡くなったのは、先月22日だったこと。家族葬で見送ったことなどが記されていた。
当日電話をしてくれたようだが、生憎留守だったのと、その頃履歴の確認をしていなかった。
手紙は近しい人への挨拶状と思われ、失礼をわびる文章が末尾に自筆であった。
折り返し返信をして、こちらのアドレスと携帯番号を知らせた。
暫くして、彼女からメールがあり、発病と闘病生活について詳しく綴られていた。
今日が49日の法要であることや、叔父が住んでいた家についても。
4年前の今日は、ちょうど研修会の最終日だった。
船が揺れるような動きがあり、やがてスマホで確認して東北地方の地震を知った。
帰宅してから見たテレビから流れてくる映像は、信じられないものだった。
今日偶然、震災から10日後に行われた中学の卒業式(答辞)を見る機会があった。同級生の3人が津波の犠牲になったという。共に迎えるはずだった卒業式に出られない友を思い、自然の残酷さに触れた答辞は、15歳の若者の無念を伝えてあまりあるものだった。
死は、必ずやってくる。
しかし、災害や事故での突然の死は、やはり受けとめるのが難しい。
叔父には、幼い頃からのたくさんの思いでを残して貰った。
また書くこともあるだろう。
画像は、一昨年叔父を訪ねた折りの写真である。
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