8月15日
大阪へ来た頃、城東線(大阪環状線になる前)で大阪方面に向かうと、森ノ宮辺りの窓外に鉄骨のまま残っている工場跡の建物が幾つか見えた。
大阪は空襲が激しかったと聞く。上本町から大阪駅まで、見通せたとも。
何時撤去されたのか覚えていないが、まだまだ戦争の跡は残っているのだなと感じたものだ。
それまで住んでいたのが京都だったから、余計にそう思ったのかもしれない。
当地にも、陸軍の火薬庫があり、二度も大きな爆発を起こしている。
特に二度目は被害も大きく、京阪電車も送電線・電車線・電気供給施設が破損して運転不能になったという。
この爆発の起こった3月1日は、「平和の日」に制定されている。
画像は、その火薬庫の土塁。
と、こうしたことは毎年書いているような気がするが。戦後70年、昨今の様子は戦前と似てきたと言われる。
どうぞ、【火垂るの墓】のようなことが、二度と起こりませんように!
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