終電の神様
阿川 大樹 著
税込価格:640円
出版 : 実業之日本社
ISBN : 978-4-408-55347-4
発行年月 : 2008.9
利用対象 : 一般
夜の満員電車が、事故で運転を見合わせる。この「運転停止」が、それぞれの場所へ向かう人々の人生にとって思いがけないターニングポイントになり、そして…。『ジェイ・ノベル』掲載に書き下ろしを加えて文庫化。【「TRC MARC」の商品解説】
第一話:化粧ポーチ
突然停まってしまった終電車。東京の電車は、終電でも車内は身動きできないようだ。
他では経験することのない、全くの他人との接触距離。
「わたし」はそんな中、後ろの男の動きに気づく。
しかし意外性があって、電車が動き出してから誘われたように降りた男は、手痛いしっぺ返しを食らう。
この話にはもう一ひねりあって、「わたし」は一旦基地へ戻ってから帰宅せねばならないのだ。だがこの日は家族の緊急入院というハプニングが伴い、取り急ぎ基地を経て病院へ急ぐ。
タイトルの「化粧ポーチ」が、効いている。
しかしこの奥さん、119番で呼ぶときにも化粧ポーチはしっかり持って行ったのか!
第三話:スポーツばか
エンジニアの智子と競輪選手の彼。
その身体と闘争心を維持するために、自分の状態を冷静に分析して、自分をコントロールする繊細な心を持った彼。
そういう男に尊敬の念を抱き、自分もプロフェッショナルとして辛いことを当たり前に受け止めることが出来る。
いつも一緒というわけにはいかないが、彼のマンションへ行ってかいがいしくもてなしてくれることを楽しんでいる。彼も又、もてなすことを楽しんでいる。自分は節度無く飲み食い出来ない分、恋人がおいしそうに味わうのを楽しんでくれる。
そういういい関係なのに、この終電が停まった夜を、智子は何故「最後の夜」にしようとしたのだろう。
「別れよう」という内容の手紙を投函してから、最後の夜に赴く。
「結構強い」彼がランク落ちするのが辛かったのか?自分でも答えは出ていなかったようだが。
その、「ランク落ち」するかもしれないと知ったときから、やや気持ちが一致しなくなり、無理をしているのではと感じるようになる。
それが、別れの手紙を書いた理由だった。
この最後の夜の次の日、その手紙は彼の元に届く。
しかし彼は、単純な「スポーツばか」ではなかった。
強い身体以上の、繊細な気遣いの出来る人だった。
どんなカップルも、ちょっとした矛盾を持ちつつ、それでもそれぞれのつきあい方をしている。それは、結婚してからも同じだと思う。
何もかも自分の思い通りに行く人生などない。ちょうど終電が突然停まってしまうようなことは、ままあるのだ。
第四話:閉じない鋏
母が父の入院している病院に行っているため、夕食を食べに入った居酒屋で、サラリーマンの自分は隣の人と話を始めた。
その人もまたサラリーマンだったが、父が認知症になったため、家業の文房具屋を継いだ。
そこは、自分の家からほど遠くない商店街にあった。
その文房具店店主の高橋さんは、自分の家である散髪屋の常連だという。
父の腕を褒め、父でなく母が仕事を受け継いでいる、その仕事ぶりを褒める。
自分も理容師の資格を持っており、父母の生き方はじっと見てきている。
最後、母が父の指にシザーを握らせる場面と、そのあとの自分の決意。
グッとくるものがある。
第五話:高架下のタツ子
イラストレーター沙也は、ようやく一つの仕事を仕上げて、恋人ショウちゃんのアトリエへ行くところから始まる。
今回は、人身事故のあおりで停まってしまった終電に乗っている方ではなく、その乗客を待っている沙耶と、ショウのアトリエ前で出会ったタツ子こと龍三さんの会話が物語を進めていく。
タツ子は、女装した龍三で、講演でショウちゃんを待つ間、問わず語りに自分の過去を話していく。
父親と元の相方と、二人も失ったタツ子。
やがて電車が動いてショウちゃんが到着し、タツ子は去って行く。
そのタツ子を話題にしながら、ショウちゃんは「自分より先に死ぬな」と言う。一種のプロポーズである。
ショウちゃんの作品は、市井の人をテーマにしていて、その中に細かい作り込みをしている。彼のこれまでの来し方も、きっとなかなか波乱に富んでいるのではなかろうか。
人の優しさに触れることのできる、佳品である。
第六話:赤い絵の具
本編はこれまでと少し違う。
K駅で起きた人身事故で終電車が停まって、それぞれが受けた影響を描いたのがここまでだったが、今回はいつまで経っても終電にはならない。
海岸に行った嵯峨野(主人公の女子高生)が見た風景(ビキニの母親と幼い男の子)が、一つ前の「ガード下のタツ子」を思い出させ、当時へタイムバックしているのかとも思ったが、そうでもないらしい。言葉遣いも現代だ。
一度靴を隠されて裸足でいたところを担任に見とがめられ、正直に話す。それからその富田という男子学生に虐められていると信じている単純な担任。
絵を描くのが好きで美大を目指している嵯峨野は、自分なりに場所を見つけているのに。
公園で絵を描いている内に手持ちのない赤い色が欲しくなり、手首を切って色を出そうとしたことが大事になって、担任は富田のせいで嵯峨野がリストカットしたと決めつける。
このリストカットも、「ガード下のタツ子」に出てきていて、それも時代が上に書いた勘違いに結びついてしまった。
結局は富田は思い悩み、電車に飛び込もうとしたのだが、それは終電ではなく朝のラッシュ時だった。
嵯峨野を育てている母親が、良い感じで描かれている。
第七話:ホームドア
これは、書き下ろし。
終電ではない。誰かにホームから突き落とされた喜美子は、助けてくれた人を探すためもあって、その駅のキオスクに就職する。
キオスクには、毎日同じ人が現れて新聞やちょっとした物を買っていく。
常連の一人は、定年を迎えたから翌日からは来なくなると挨拶していった。
もしかしたら会えるかも。唯一の手がかりは、スカートを履いた男性ということ。
その駅にホームドアが設置されることになって、他の駅より少し大きなこの駅のキオスクは、閉店になる。
その日、ちょうど夕方の混む時間帯の前に売り場の外で陳列の様子を点検しているとき、いつもは昼頃来るその人が現れた。
そしてその人は……
かなり感動的な出会いだ。
書き下ろしをホームドアで締めくくって、最近の鉄道事情も盛り込んであるし、この七つの話は、全部面白かった。
かなり重版されているようで、嬉しい。
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終電の神様
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