昭和24年頃鉄道事情(?)など
「鉄道事情」などという、ご大層な話ではまったくない。
鮎川哲也【黒いトランク】(18.01.27)に出てきた汽車たちが楽しかったから。
東京から長崎までも、直通で走る準急があったり。この頃の移動は、本当に大変だったろう。
この年は、まだ国内航空は飛んでいなかったらしい。だからミステリでも、飛行機利用の話は使えなかった。国内航空の再開は、26年8月だったという。
これよりもっと後だが、夏休みに祖父母の家へ行くとき、大阪駅から「国府津」行きに乗っていた。読み方も知らず、だが毎年のことだから駅名だけはしっかりインプットされていた。
後年この駅名が「こうづ」であり、神奈川県にある駅だとは、やはり何かミステリを読んで知ったのだった。
ちなみに帰路は、岐阜駅から「糸崎」行きに乗っていた。糸崎は広島県三原の近くだとは、つれあいに聞いた。
他にも、「省線」という言葉に反応。
たしか野坂昭如の【火垂るの墓】の冒頭。主人公が亡くなる場面で、「省線三宮駅云々」とあったような気がするが……。
駅前には靴磨きの少年がいたり。
旅館の暖房が火鉢だけだったり。
鉄道で荷物を送るのには、4枚の券を使ったり。利用者に渡った以外は、ちゃんと駅に保存してある。「チッキ」という言葉も出てきた。
この【黒いトランク】に出てきた時刻表は、24年当時のものだと、著者の(註)にあった。そのまま掲載されていて、iPadでは読める。
時刻表をみて色々空想することは、すっかりなくなってしまったなぁ。
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