「たび」の空の下、妻を思った万葉びと
「たび」の空の下、妻を思った万葉びと 国文学者・中西進さんに聞く
先々週だったか、朝日新聞夕刊で偶然見つけたコラム。
かなり以前から月一くらいの頻度で連載されているようだ。
このご時世、汽車に乗らなくなって2年余が過ぎた。
『あーー、鉄分不足』と嘆く我が身だが、万葉時代の人たちにとっては、旅は今生の別れかもしれなかった。また、実際に帰らぬ人も多かったことは、「万葉集」にも歌われている。
いや江戸時代でさえ、旅に出ることは一大事だったろう。
「たび」とは、愛する人と暮らす日常の生活秩序から外れてしまうこと
まさにその通りだったのだろう。柿本人麻呂の最後の歌にも、よく現れている。
鴨山の岩根し枕(ま)けるわれを
かも知らにと妹が待ちつつ
あるらむ
中西進さんの文章は他でも読む機会があり、いつも惹かれている。
紙版の新聞を読むことは殆ど無いので、また次をいつ見つけられるだろうか。
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