「ルビーの指輪」
Youtubeで偶然、「高校1年を3回…問題児が日本No.1俳優になるまで|寺尾聰の逆転人生」というのを視聴した。
タイトル通り、寺尾聰の人生を追っている。
何の番組だったが、寺尾が出演した歌番組に父である宇野重吉が招かれていて、「若い頃は色々あって…」といったことを仰っていた。
寺尾は元々野球少年で、甲子園に出たくて法政二高に進学している。しかし早い時期に退学。高校一年生を3度体験している。
騒動を起こす度に、宇野は彼を警察へ迎えに行っていた。母は、繰り返す留年を赤飯で祝ってくれていたという。これまた、なかなかの豪傑だ。
やがて音楽活動を開始。
その内、「ルビーの指輪」を作るも、まったく相手にされなかった。
心機一転、演劇を目指して父(と瀧沢修)の創立した「劇団民芸」への入所を希望するも、「どんなに頑張っても親の七光りと呼ばれるだろう」という宇野の勧めで、石原プロに入団。
その後「西部警察」などへ出演した。
その頃「ルビーの指輪」を、裕次郎の勧めもあってリリース。
これがとんでもないヒットになった。
その年のレコード大賞の作曲部門を制覇、紅白にも出場した。
映画でも日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を獲得(同賞はもう一度取っている)。
レコード大賞とアカデミー賞両方で最高賞を取ったのは、寺尾だけだという。
いつぞや【半落ち】を読んだ時、ずっと寺尾の姿が頭の中にあったっけ。
「雨上がる」も良かった。
年を重ねるにつれ、お父さんそっくりになっていった。
最近では、福山雅治主演の「ラストマン」にも出演していた。
宇野重吉は若い頃から大好きで、舞台は何度も観ている。
これは以前も書いた記憶があるのだが、当地へも来て下さった。演目は「三年寝太郎」だった。これが最後の舞台ではなかったか。
前から5番目位の席で、しっかりと目に焼き付けた。楽屋では、伏せっておられたと聞いた。
話が逸れそうなので、この辺で……。
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