2024.11.23

紅葉狩り??

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先日、恒例(?)の紅葉狩りに行ってきた。

昨年は斑鳩だったが、今年は3年前・一昨年と同じ勝尾寺へ。

実は本堂当たりから当地が見えるという情報があったのも、ここを選んだ理由の一つ。

しかし今年はいつまでも暑かったせいか、色づきは今ひとつだった。

 

ここは関西ではかなり有名なところらしく、土日は駐車場を予約する必要があるとか。20241121-130537

 

 

 

 

 

で肝心の「当地が見える」かどうか(自分は上までは行ってない)は、微妙だったようだ。
→ は息子が撮ったもの

 

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2024.11.17

ひらかた万博 東海道五十七次整備400年記念イベント

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ひらかた万博 東海道五十七次整備400年記念イベント

今年は東海道に最後の宿場が設置され400年となる年で、東海道には「京への五十三次」と共に「大阪への五十七次」も併存していたことを知っていただくイベントとのこと。

今日は各宿場の名産品やなどのお店やキッチンカーも出るらしい。
先日タモリさんも訪れたことだし、賑わえばいいな。

 

画像はイベントのお知らせ

 

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2024.11.09

ブラタモリ つづき

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いよいよ、第五十六次の枚方へ。

タモリさん、ひらパーも、園長のこともご存じないんだ。
初枚方とのことだ。

最初はにぎやかな(というよりゴチャゴチャした)駅前から始まり、次第に東海道へ入っていく。
公園前近くまで行くと、今でも当時の面影があると思う。

残念ながら自分の居住範囲とは離れているので、あまり詳しくはない。

 

舟運が発達していたことから、宿場町としては下りはあまり利用されていなかったようで、この辺、タモリさん鋭い!「枚方宿はいらなかったのでは」と仰っている。

そう、かなり厳しい財政状態だったようで、そこで考えられたのが、三十石船の利用客に物を売ることで、その小舟を「くらわんか舟」という。
あまり上品ではない「くらわんか」と言いながら、櫂に食べ物を載せて供する。
この櫂に乗せて客に渡す方法を取った店が駅前にあって、現職時代はよく土曜日の昼食に利用していた。
息子も覚えているというから、ある程度長く営業していたのではないか。

とまれ、そうした工夫をしながら宿場町として乗り切ったということだ。

「鍵屋」へも、研修会でたまに行ったなぁ。

 

ちなみに、駅前がゴチャゴチャしているのは、京阪電鉄がここよりむしろ樟葉に目を向けていたからではないかな。
この私鉄を利用していた時期もあったが、その頃も枚方よりは樟葉を利用することの方が多かった。

 

画像は「鍵屋資料館」

 

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2024.11.07

ブラタモリ

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11月2日から三夜連続で「ブラタモリ」の放映があった。

「東海道53次」ならぬ「東海道57次」の54番目から57番目までを旅する。

と言っても、53次の終点である三条大橋から伸びているのではなく、少し手前の三叉路が「京へ行く道」「大阪へ行く道」と分かれていて、その「大阪へ行く道」を辿るのである。タモリさんは三叉路がお好きらしい。

これには徳川幕府の思惑があったのだとか。西から江戸へ行く大名たちが従来の53次を通ると今の京都市内を通ることになり、御所と接触しかねない。
それを案じた幕府が、大阪からは違う道を通るよう誘導したのだとか。

で、54次目は伏見、55次目が淀である。

伏見宿はかなり広い。そして淀には秀吉が立てた城がある。淀君の居城だったところだ。多分今は競馬場の方が有名だと思うが。

そして当地は56次目になるが、これは次回に。

 

画像は淀城の本丸石垣と堀跡。

 

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2024.08.19

枚方でNHK特集ドラマ「昔はおれと同い年だった田中さんとの友情」の撮影してた!

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枚方でNHK特集ドラマ「昔はおれと同い年だった田中さんとの友情」の撮影してた!

市内西エリアの神社というので「意賀美神社」かと思ったのだが、「御殿山神社」だった。
以前よく行っていた、御殿山図書館の向かい側(?)の坂を登ったところになる。かなりの急勾配だ。

もうまったく「花林神社」そのもので、社号標や社殿の扁額や幟も「花林神社」になっている。まつりのシーンも撮っていたようで、大勢の人が歩いていた。

 

画像は「御殿山神社」

 

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2024.08.16

送り火

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毎週水曜日の夕方、KBS京都の「本日、米團治日和。」を聞いている。

14日は、大文字保存会理事長の長谷川英文氏だった。先週分は、残念ながら聞き逃した。

如意ヶ岳は、一番大きな「大」の字を灯す。昔よく登った山だ。

ここ4年間、全部が灯らなかった年もあったようだ。

その「大」の字だが、一画目は80m、一番長い二画目は160m、そして三画目は120m。全部で75床ある。

最初からアカマツに点火するのではなく、麦わらに点火したのを移すのだとか。
昨今はその麦わらが手に入れにくくなり、いまのような形がいつまで維持出来るかと話しておられた。

点火された大文字山を見たのは、何時のことだったろうか?

 

 

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2024.08.05

花火大会

夜空を鮮やかに彩る打ち上げ花火の画像(花火の背景フリー素材)

8月に入って、あちこちで花火大会が盛んに開催されている。

「淀川花火大会」での観客のマナーの悪さにはげんなりだが、どこの会場も大賑わいのようだ。

そんな中、「隅田川花火大会」の実況があると知って、流しながら見てみた。(実況ではなくTVERで)

今年は二つの会場での開催だとかで、スタジオ・第二会場である屋形船、その他近くのマンションベランダや、街の中からの中継もあった。

途中、10の花火屋さん参加のコンクールもあって楽しめた。

残念だったのは、何かハプニングがあったらしく、第一会場のフィナーレがなかったこと。
でもそれまでも、たくさんの奇麗な花火を堪能できたから良しとしよう。

本物の花火を近くで見たのは、いつのことだったろう??

 

 

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2024.07.31

アテルイの首塚

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「アテルイの首塚」というのを聞いた。ネタ元は忘れた。

枚方市牧野に、この「アテルイの首塚」というのがあるようだ。

元々、交埜神社の隣の公園の中央部に土が漏られた箇所があり、大きな木の根元に自然石の墓らしきものが建てられていたという。
地元では昔より、この塚を「蝦夷塚」と呼んでおり、アレルイの首塚であると伝えられているとか。しかしこの説には、賛否両論あるようだ。

アテルイ とは、坂上田村麻呂が蝦夷征伐をした際、捕虜として連れ帰られ、当地で処刑された人物だという。

ところが近年(といっても2007年)、それとは別に「アテルイとモレの塚」というのが建立されたらしい。

アテルイの首塚

長く彼の地には足を運んでいないので、実際に目にしてはいない。

ところが何の因果か、この話が思いがけないところで浮かび上がってくるのだが、それはまた後日。

 

画像は12年前の8月1日。大阪の夜景。

 

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2024.07.13

“枚方の水”

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Twitterで「“枚方の水”」がトレンドに挙がっていたので、見てみた。

ひらパーの新しいCMで、ひらパー兄さんこと岡田准一が「“枚方の水”」を来園者に(?)ザバーっとかけるというもの。

ひらパーのプール開幕 岡田准一が「枚方の水」バシャーッ! 園長像も“バージョンアップ”

ひらパーのプールが「ザ・ブーン」というとは、知らなかった。

そもそも、わざわざひらパーのプールへ行ったことはないなぁ。近場に市営プールがあるもの。ここは、今日開園らしい。

 

そう言えば、当地の水のペットボトルを、何かのイベントの謝礼のおまけとして貰ったことがあったなぁ、何年前になることか。
「おいしい水」をアピールしていた頃だったが。

更にもっともっと以前。誰でも判るくらい水質の悪い時期があった。雨が降らなくて、琵琶湖の水位が下がった年だった。

と、昔話は延々とつづく……。

 

画像は、Yahoo!のサイトからお借りしました。

 

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2024.04.09

今年の桜

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出かけていた息子からのLINEで、花見に行くことになった。

今年はほぼ諦めていただけに、嬉しかった。日曜日とあって人出は多く、駐車場も満杯。

ほんの短時間だったが、満開のさくらを堪能出来て良かった。

 

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